受け身ということ

毎年、夏の終わりに、愛知県一宮市にある顧問先さんの病院で、1泊2日の人間ドックを受けています。11年前にこの人間ドックで肺がんが見つかり、早期発見で命拾いをした経験もあります。

毎回思うことですが、人間ドックを受診しているときは、さまざまな検査を受けるわけですが、それでもその2日間は肉体的にも精神的にもとても楽だと思っています。もちろん、検査には胃カメラなどもあり、その時々は苦しいこともありますが、なぜか全体的には楽に感じます。スタッフの応対が良いこともあります。また、普段はとても忙しいので涼しい病院で過ごせるということもあります。とくに今年は、人間ドックに入る前の1週間、2泊4日で米国オハイオにある、顧問先さんの米国法人の30周年イベントに出、続いて2泊3日でモンゴルに講演に行ったので、余計にそう感じたのかもしれません。

しかし、私は、すい臓などの超音波検査を受けながら、楽だと感じる本質的理由がやっと分かったような気がしたのです。それは「受け身」だからです。決められたスケジュールのままに検査を受け、言われるままに身体を動かしている受け身だからなのです。そこには自分の意思は全く入っておらず、人に言われたとおりに動いているので、とても楽に感じたのです。

そうこう思いながら、以前同じことを感じたのを思い出しました。36年前、就職したすぐの頃です。銀行の名古屋支店勤務となったのですが、とても楽だと思いました。もちろん、仕事は少し難しいことや、きついときもありましたが、住むところ、働く場所や仕事内容、通勤手段、働く仲間もみんな銀行が決めてくれて、その通りに動けばよかったからです。そしてお給料までくれます。

なぜ、それを「楽」だと感じたかというと、私が卒業した京都大学は、まったく自由だったからです。自由ということは、すべてを自分で決めなければならず、責任も自分にあります。たとえば、2回生の途中から学部(私の場合は法学部)学生となりますが、授業の登録はありません。したがって出席確認もなく、ただ、2月の学年末の試験の点数だけで単位が取れるかどうかが決まります。必須科目も外書購読だけで、他の科目は経済学部や文学部などの他学部の授業で単位をとっても卒業できるのです。すべて自分で決めて自己責任です。もちろん、友達選びも課外活動も自分の責任です。

こういう状態が「普通」と思って就職したので、銀行生活はとても「楽」に感じました。すべて銀行が決めてくれて「受け身」で言われた通りにしていたらよかったからです。

入行4年目に米国のビジネススクールに留学させてもらって、私の気持ちは、大きく変わりました。米国という国は、いい意味でも悪い意味でも「自己」が確立していないと生きていくのが厳しい国です。そして、それまでの銀行員生活で「自分」を失いつつあることに気づいたのです。

留学から銀行に戻り、経営情報システムやM&Aを担当し、仕事はとてもエキサイティングでしたが、「自分」のなさに気づいた私は、何か釈然としないものがありました。その後、小さな会社2社を経て独立して、リスクは大きかったものの、今は「自分」をある程度取り戻したのではないかと思っています。少なくとも自由と責任は格段に意識して生きています。受け身は楽ですが、それに慣れてはいけない気がします。サラリーマンでも、「自分で責任を持ってやっている」という気概が必要でしょう。

人間ドックで検査を受けながら、ふとこんなことを感じました。(検査結果はおかげさまで問題はなかったようです。)

【小宮 一慶(こみや かずよし) 】
経営コンサルタント。株式会社小宮コンサルタンツ代表取締役会長CEO。十数社の非常勤取締役や監査役、顧問、名古屋大学客員教授。
フィールドでの実践をもとに、企業規模、業種を問わず、幅広く経営コンサルティング活動を行う一方、年百回以上の講演を行う。新聞・雑誌、テレビ等の執筆・出演も数多くこなす。著書130冊超、累計発行部数350万部以上。

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